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◆泰国の歴史


 泰国には、天儀よりも古い歴史がありました。

●「泰」の成立
・天儀紀元前15世紀
 泰国において「泰」が成立したと伝わる。
 神話における伝承であり、詳細は不正確である。
 神たる天帝が王となって地上へ折り立ち、人々に知恵を授け、国造りを指導したと言われる。


●「春」の成立
・天儀紀元前約520年
・春1年
 泰に「春」王朝が成立する。
 この頃の泰は矢継ぎ早に王が交代するなど、不安定な状況にあった。初代春華王「黄帝」は、元々有力貴族の生まれであったと言われ、軍師「羌大師」の補佐を受けて泰を統一。
 黄帝は天帝の禅譲を受けて泰をそのまま継承したものとし、春王朝を開いた。
 従って今日においても、泰と春が完全に一致しながらも、泰国とは、春王朝が泰を統治しているのであり、春華王が天帝位に就いているものと解釈されているのである。
 この時代は、未だに神話時代からの連続性が強く詳細についてはやはり不明瞭な部分が多々みられる。
 ただし、少なくともこの頃には中央集権的な国が成立しつつあったようであり、泰の人々の間には泰という概念が形成され、泰文化や政治的連続性と呼べるものの多くは、この時代に源流を求めることができる。


●梁山時代
・天儀5世紀前半
・春10世紀中頃

 天儀400年(春920年)頃、春王朝が東西に分裂する。
 分裂の原因には諸説あるものの、兄弟間の不仲、特に、当時の天帝が自らの皇子のうち弟を溺愛し、兄を差し置いて帝位に就けようとしたことに原因を求めるのが一般な説である。
 天帝である父が崩御すると兄は弟の命を狙って挙兵。兄は天帝位と王位の継承を宣言し、辛くも朱春を落ち延びた弟も梁山湖に拠点を求めてこれに対抗。王朝は弟を王とする東春王朝と、兄を王とする旧春王朝に分裂した。
 後者を「旧春王朝」と称するのは、現在の春王朝が東春王朝の系統に属するという、政治的な理由からである。
 戦況は旧王朝が有利で、勢いに乗る旧王朝は大軍を擁して梁山湖に攻め込むも、ここで梁山湖周辺の山々が崩落を起こし、旧王朝の主力部隊は大打撃を受けて壊滅。親征として出陣していた兄は混乱の中で死に、優れた忠臣としてその戦いを補佐してきた大臣曾頭全もまた崩落に巻き込まれ、主力と指導者を一挙に失った旧王朝側は瓦解した。
 勢力を取り戻した東春王朝であるが、この内乱の傷跡は深く、以降、東春が泰全土を再統一するまでの数十年は泰でも混乱の激しい時代であり、歴史的にも混乱が見られ、同一人物が全く正反対の扱われ方をしていたり、分裂と紛争の原因すらやや正確には特定できない有様である。


●三国時代
・天儀7世紀頃
・春12世紀頃

 泰国は再び群雄割拠の時代となり、各地の諸侯が覇権を争う。
 天帝と春王朝はその重要性から無事であったものの、その権威権力を大いに失うこととなる。
 当初は大小様々な群雄が各地に割拠していたが、これらはやがて「曹」「孫」「劉」の三諸侯に集約されていき、これら三諸侯も、天儀710年(春1230年)には春王朝に権力を返上。
 ここに三国時代は終焉を迎え、以降、春王朝はその命脈を保って現代に至っている。


●飛龍の泰国到達
・天儀809年
・春1329年

 資料的な伝承によれば、この時、志体が駆る飛龍が嵐の壁を突破し、泰国に到達したと伝えられている。これは泰との国交樹立後に明らかになったもので、凡そ天儀809年頃、泰国のとある地方に、見慣れぬ風体の若者が漂着していたのである。
 記録によれば、彼は龍を駆って僻地の島へ移動する途中、嵐に遭って方角を見失って遭難。途中で無人島などを経由しながら同地へ辿り着いた。
 彼は見慣れぬ風体の若者で、現地の人々が聞き慣れぬ地名や単語を多数語ったという。
 やがて彼は現地の集落に新たな住民として迎え入れられ、一生をそこで終えた。
 彼の証言の多くは、現地できちんとした記録が取られることもなく、またその晩年は、集落の幼子らを相手に物珍しい昔語りを語って聞かせたものの、記憶はだいぶ曖昧になっているのみならず、子供らへ語って聞かせるに辺り、多数の誇張や修飾が含まれており不正確なものであった。
 この件が宮廷にもたらされたのは、彼の死後になってからであるが、たとえ曖昧なものとはいえ、この情報は泰に「外の世界」を意識させることとなり、その後の天儀との接触における心理的衝撃を大きく減じたと言われている。



●第十二次嵐の壁突破作戦
・天儀920年
・春1440年

 この年、遂に天儀の飛空船が嵐の壁の突破に成功した。
 泰に通じる嵐の門は「鎖武諾」と呼ばれる蒼い馬を駆る魔神に守護されており、明言こそされていないものの、朝廷はここを突破する為に巫女を人柱として供してこれを鎮めたと推察されている。
 この頃はまだ開拓者ギルドなども存在せず、作戦は、主に朝廷の求めに応じた諸侯、特に武天や朱藩が中心となって展開された。
 当時は飛空船の性能も今より劣り、何よりあらゆることが手探り同然とでも呼ぶべき状況が連続したことから、泰に到着したとき、飛空船は既に墜落寸前であったという。
 辛うじて着水に成功した飛空船は、宝珠が破損したことから再浮上は不可能となり、乗員らは現地人に接触すると共に積荷を降ろして退避した。当時、泰にはまだ飛空船は存在しなかったものの、現地人との接触を持った頃には既に着水後であり、その時点で再浮上は不可能な状態であった為に、現地人は奇妙な成りの大型船が難破した程度にしか感じなかったという。
 飛空船の乗員らは使者らと共に数名が王宮に赴き、信書を手渡した。
 春1329年の事件から「外の世界」について薄々感じつつあった王宮は、この出来事に驚きはしたものの、概ね落ち着いた様子でこれに対処し、また、飛空船こそ沈没したものの、風信術の回復に成功したため、乗員らは辛うじて本国との連絡に成功。やがては正式に国交が樹立され、活発な行き来が始まることとなった。








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