
神代とは、皇統のみに顕れる奇跡そのものである。
常なれば言葉を交わすことすらできぬ神を、自らの身体を拠り代として降ろすことにより、その真を知り、威を打ち立てる。
主上は精霊の代理人であり、その御威光は四海を制する。皇統は畏れ多くも――
――史書「五代記」(藤原規経著 暦636年)
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▼神代
神代とは、朝廷の帝などが得ていた特殊な力のことです。
帝の他にも保持者が現れることはありましたが、いずれにせよ、武帝以前の直系の帝はすべからくこの力を保持していました。しかしながら武帝はこの神代を持たず、一方で一介の開拓者に過ぎなかった穂邑にその徴は顕れています。
精霊力に対する特別な親和性を発揮すると言われる神代は、時に、最高位の精霊との交信や降霊さえも可能であると言われ、朝廷をして帝を神霊の代弁者と位置づけてきました。
一方、この神代を持つ穂邑は、精霊らしからぬ声を度々耳にしています。このことから、神代は精霊のみならず護大の声を聞くことができ、あるいは精霊以外に対する親和性さえも持つのではないかとも推察されており、その実態は未知数です。
外見的に特徴付けられるのは、その力が活性化した時に身体に現れる、「徴」と呼ばれる紋様、神紋です。
これは神代を持つ者毎に全く違う紋様が浮かびあがるようです。
【神代】懐かしき空の声
▼桜紋事件
990年、武帝(現在の天儀の帝)が生まれます。
また、公けにこそされていませんが、朝廷の現在の帝である武帝はこの神代を持たずに生まれました。この神紋を持たなかった帝の誕生は、朝廷深部において大問題となりながらも緘口令が敷かれ、朝廷の奥深く門外不出のものとされたものの、このことは朝廷が精霊の加護を失った証左と見られるようになります。
更には、続く弟が神代を持つ徴を見せたことから、このことは朝廷内部に最悪の混乱を引き起こします。
当時の帝である先帝英は神代を持たずに生まれた我が子武を激しく憎み、偏愛する弟に帝位を譲ろうと考え、貴族らの多くは弟の歓心を買わんと行動し始めます。
こうした英帝の態度を当時「朝廷三羽烏」と呼ばれた三人、即ち大伴定家、藤原保家、先代豊臣公に加えて一部の高官らは英帝のこうした態度と考えを強く諌め、廃嫡にも強硬に反対。これに対し、英帝は忠臣と名高かった楠木氏を動かすことで、三羽烏の殺害のみならず、武帝の弑殺までも決意したのです。
英帝の密勅を受けた楠木氏は軍を率いて決起。
しかし、この逆クーデターは三羽烏に察知されて先手を打たれて初動段階で頓挫し、新帝となる筈だった弟がにわかに発熱して急死したこともあって完全に失敗。大伴定家の反撃に軍を粉砕され、英帝から切り捨てられた楠木氏は自刃して果て、もちろん帝自身による廃嫡の策謀が公にできる訳もなく、この大逆事件は楠木氏が首謀者であるとして処理されました。
この英帝もやがて病を得て数年で崩御。
こうして火種は完全に取り除かれましたが、このことは関係者の間に深刻な傷を残すことになります。
【桜蘭】大神の変
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